一級和裁士のおしごと(2016)

一級和裁士のおしごと インタビュー(2016)

着物を仕立てるということ

和裁士が仕立てた着物

和裁士が仕立てた時に何が違うって、着た時に体に馴染むねんね。手縫いで、針先一つ外側を縫うか内側を縫うか、その微妙な匙加減一つで着心地が全然違うねん。

例えば「ここをまっすぐ縫います」という線をつけたとして、ここはちょっと外側を縫います。ちょっとここのカーブのところは丸く縫いますとか。へらで印をつけたところをちょっと匙加減一つ変えていくとうんと着心地がよくなったりとか。その技術こそが先へ繋いでいかなあかんもの。

一本の反物から仕立て、仕立て直す

反物は一反で12m~13m、まっすぐやねんね。それをお袖を2つ、身頃を2つ、衽と衿というパーツに、パスンパスンと8つのパーツに鋏を入れる。

また作り変えるのを前提に裁つから、布を無駄なく、次に着る人が体格の大きな人であってもできるように、縫い込みを中にとって作ります。身頃に縫い込みを入れたり、お袖も縫い代に少し入れ込んだり、見えないところに全て入れてあって、全部手縫いで縫ったものはほどした時にもう一度洗い張りをすると、穴が綺麗になくなってまた繋げると一反に戻るねんね。

切ったところを繋ぎ合わせて一反に戻して、洗い張りをしてもらうと筋も消えて、また大きなサイズの人のための着物も作り変えられる。今の薄っぺらい言葉でいうと「究極のエコ」という感じ。そういってしまうと何か違う気がするけれど。


体格の小さなおばあさまの着物が、その後、娘、孫と3代くらいは着れたりね。その時にミシンで縫ってしまったりすると、もう針穴があいてしまって戻らないねんね。

新しいものを作るけれども、自分だけのものではないというか。一番最初は自分の寸法でもちろん仕立てるけれども、おいおい誰かが着ることを想定してあるような。

もちろん、洋裁だとカーブに縫い代も縫い込まないし、だからこそ動きやすいというものあるし、今みんなが着物で暮らしていないというのにはきちんと理由があるけどね。

絹は生きている

麻や木綿は植物だけれども、絹はお蚕さん、生き物だから動物性。
ナイロンやポリエステルというような人工的に作られた繊維は狂いが少ないねんね。

木もそうだけれども、例えば木を箪笥にすると湿気を吸うと開きにくくなる。木は湿気が多ければ伸びるし、乾燥すれば縮む。

絹は真逆で湿気が多いと縮んだり、乾燥しても伸びはしないけれど。絹の場合は乾燥した状態に保ちたい。だから着たあとは体の水分を絹が吸ってしまっているから、陰干しをして水分を抜いて、桐の箪笥にしまっておくのが一番乾燥した状態に保てて劣化が少ないかな。

和裁士の1日

朝は午前9時くらいからはじめて、まずはアイロンで生地の地の目を整えるという作業をします。重たい工業用のアイロンで、アイロンと生地の間にほんのわずかな隙間をあけて、ぴったっと当てずに熱で縮めていくという作業。腕がパンパンになるんやけど。

和裁は絹が生きているから、伸ばしたり縮めたりしながら。まずはそれがたっぷり1-2時間。

それをして裁つ状態に積もっていって。物によるけれども、裁つところは必ず布の輪にするように、お袖2往復、身頃2往復といった形でパタパタ畳んで積もって、右側を裁つ。

印はつけずにパタパタ畳んで寸法を確認しながら折ることが積もる。

寸法はお客さん身長・体重・スリーサイズ。本人の体つきから寸法を割り出します。お店の商品であれば指示書がきて、すべての寸法が【寸】で書かれています。

和裁の寸(すん)

結婚して知ったことなんやけど、大工の寸と和裁の寸(くじら尺)は違う。

大工さんの尺の方が一般的、畳とか、一軒二軒。尺貫法(しゃっかんほう)って。
和裁は一寸が3.8cm、大工は一寸が3.03cmほぼ3cm。一回それで喧嘩になって。

お店から指示がきた場合、私は修業した先が全部cmに直して統一しましょうという教えのところだったから、一旦cmに戻して裁っています。

一番好きな瞬間

裁ち鋏を入れる瞬間。とても緊張するけれども一番好きやね。その時は電話が鳴っても出ないし、一番集中せなあかんところやから。お腹いっぱいの時もせえへんし。

食べていける時間

大体20時間で1枚の着物を仕立てられるように訓練された状態ですね。

先生のところで習っていた頃は丸2日で1枚。プロ和裁士を育てるところで、それで食べていくんやったら2日に1枚縫わな無理やでっていうことやったんと思います。お稽古ごとならまた違うけれども。

その20時間の中の6-7時間か、ある程度のところ、へら付けて素縫いの途中くらいまでのところまでまわしして、会場で7時間くらいで仕上げるコンクールというのがあって、決まり通りにまわししていったものを最初にチェックを受けて、そこから仕上げまでを何時間かで競うという。だからとにかくスピードがないとこのコンクールには出れないし、スピードは鍛えてもらったと思う。それが身についているおかげで、10年くらいブランクがあるんやけど、やっぱりスピードっていうのは体で覚えたことやからまだいけるかもっていう感じで。

それがすごく楽しいの。何時までにどこまで、とか。そのコンクールに出た経験で、ここは何分、ここは何分ってすごく細かく体に刻まれているから、逆算してするのがすごく楽しい。それは本当に先生からもらったって思っている。そこがかなりの自己満足。自分だけがわかる自分だけのたのしみで、誰とも共有はできないけれども、すごくそれが快感で楽しい。別に納期も緩やかなものばかりなのに、自分の中でいざ縫いだすともう習性というか、何時までにここ、何時までにここ、ってなっていて、それをするのが楽しい。

和裁士のセンス

柄を折っていく線のことかな合口は。寸法によって、こっちを深くすればこっちが狭くなって。でも身幅をもうちょっと太くしたい人だったらこっちを出してこっちを小さく折ってとか、その寸法にあっていくように、でも柄重視で。それはすごく楽しいんやけど、パズルのような楽しみかな。

振袖や訪問着のような豪華な柄は、パズルみたいに縫い目で柄があっていくねんね。こっちをちょっと深く折ったら向こうが狭くなってとか。それがすごく楽しくて。それは染め物屋さんの技術やからね、きちっと柄があっていくように染めてあるっていう。きちっとした仕事がされている反物やったら絶対合っていくようになっているから、私がどうこうしても別にどうもないというか、きちんと合口を見つければぴちっといくから。

あとはこういう柄が決まっていなくて総柄のもの。浴衣とかそうやけど80cmごとくらいで同じ柄が繰り返されるんやけど、右後左前というルールがあって、右袖の後ろと左袖の前とか、身頃も右の後ろにぱっと華やかなところがきて、左の前にまたぱっと華やかなところがくるっていう。そのルールに沿うように、柄を見つけていく。

12mの中でどこで袖をとっても身頃をとっても良いから、それはもう総柄のものやと和裁士さんの自由にして良い訳で、柄を裁ち合わせるっていうのかな。柄の裁ち合わせもお願いした和裁士さんのセンスになってくるから。

着物の種類

着物の種類によって、着た時にこの柄がここに来てほしかったとかな。

訪問着、付け下げというものは柄が決まってくるから、裾にこの柄、胸にこの柄がきますと。

訪問着は反物を一度裁って、袖、身頃と仮に着物の形に仮絵羽の状態にして柄付けされて、ほどいで染めてある。

付け下げというのは訪問着に似た状態だけれども、反物の状態でおおよそのあたりを付けて柄がつけてあるから合い口が少ないというか。縫い目がたつところにはあまり柄があってこないのが付け下げ。

小紋というのはおおよそ総柄で普段着にはなるけれども、小紋とか色無地は和裁士が自由に裁っていい。浴衣も。

祖母の和裁に想うこと

昔は普段着が着物やったから家のお母さんが作るのが当たり前で、だからみんなその技術を持っていた。私が学んだ技術はもう特殊技術と思っていて、きっと私の祖母たちがしていた仕事はもうちょっと緩やかだったと思う。仕上がりもざっとしているというか。それこそ地の目を通すこともこだわっていたかはわからないし、仕上がりも。

ほどいてみた時に、例えば裾も普通は傷みがきにくいように4cmくらいは返し縫いで縫って、そこから並み縫いでいきますというところを、ほんの少ししか返し縫いしていなかったりとか。ざーっとしてあったりとか、中綴じといって表の縫い代と裏の縫い代を綴じ合わせていくんやけど、コンクールに出る時は3cmくらいの間隔で綴じていくんやけど、祖母のは裾は細かいけれど、真ん中はずわーっと綴じてあって、また脇のところでちょっと細かいとか。

普段に着ていた着物やし、もっと誰でもできて身近なことやったんかな。無駄に手もかけていなくて、作り直すことが前提で。裾合わせをした時に入れる「裾芯」っていうものがあるんやけど今はそういうのもわざわざ新しい裾芯用の生地を買って入れているけれども、祖母の時代のは余り布をその寸法に合わせたものが使われていたりとか、すごくほどいてみた時に面白い。

今よりもっと貴重やったろうし、布自体が。面白いことしてあるなって。素材が貴重だったから、布の命が尽きるまで。浴衣とかも最初はパリッとしているから着て、着て、段々くたくたに柔らかくなったやつをおむつにして、最終雑巾にしてほるとか。

今こうやって新しく着物を作っても、そんな布の寿命まで着倒すかっていうとそれはないやんね。だから高価なものやし、みんなの身近になくなったんかな。実際に暮らすには洋服の方が圧倒的に楽やし、生活様式も変わったことやし。

今の時代に着物を着る意味

着物も普段着とよそゆきがあって、訪問着や付け下げはよそゆきやけど、第一礼装と言われるような。

着物やと一つ良いのを持っていたら、着る度に帯や小物を変えてずっと着れる。

それこそお母さんのものでも着まわせるし。体型にも臨機応変に、プラスマイナス10cmくらいやったら着付けれるから貸し借りもできる。みんなで着まわせる。おばあちゃんの着物でも良いもの、よそゆきやったら今の時代っぽく着たかったら、帯だけ今の時代のものをするとか。全部古いのを着てしまうと何かほんとに別の時代から出てきた人みたいになってしまうけれど。

普段着て暮らすのは大変だけれど、よそ行きこそちょっと頑張って着てみるというのが好きかな、私は。結婚した時に揃えたスーツなんてもう入らへんけど、着物やったら。

だからお家にいいものがあったら、それを見直してみて、洗い張りしたり仕立て直して自分のものにするとかね。洋服やったら体型の合う人にしか譲れないけれども、着物は譲り合いが自由やから。

リサイクル着物とかも、今は買えない昔の色や柄が気に入ったら譲り受けたり、自分用に仕立て直すとかそんな感じかな。

着物への想い

私の思う着物好きってやっぱりファッションとして捉えている人のことを着物好きって思うのかな。だから着物好きな人と言われると、自分はあまりファッションとしては捉えてないかも。

伝統というか、技とか、言うても民族衣装やからなくしたくないものやし。で、それにまつわる技術やから継承していかなあかんねんやろうなって。あまり得意なことではなくて。そこが。先生みたいに人を教えてとか、この技を伝承してというのはまだ何か思えへんけど、自分だけのもんにしたらあかんねんやろうなっていうのはどこか思っていて。着物が好きかっていうと嫌いではないけれど。

和裁の工程

和裁の工程について

即仕事で覚えたから、教科書を見る暇ももらえない。メモを取る暇ももらえない。とにかく縫いなさいといって、与えられたものを必死でやって、晩にノートを纏めなさいと。

でもいざまとめようと思うと「あれ、今日何やったんやっけ?これ先生何て言ったっけ?」となるから教科書をみるんですけど、ほとんど教科書もみたことがなくて全部実践で覚えたから、正しいのかはちょっと微妙かな。耳で覚えてが多くて、漢字で覚えていなくて。考えるきっかけやね。漢字の表記に洋裁との違いだったり、お師匠さんごとの差がそういったところにあったりするのかな。

検品検尺

一反で売られているものでも、ものによっては多少長かったり短かったりがあるから、まず検品検尺して、全部測ります。

地直し(じのし)

和裁士が仕立てる中で一番肝心なのが地直しで、一番最初の一番重要な工程。

一番最初に手にした反物を見て、生地の特性を見極めて、縮むものは縮む限界までずっと縮めて、経糸と緯糸がぴっちり寸法が出て、裾でも地の目が通って山でも地の目が通ってという状態にします。

布端、布の真ん中、また布端と、全て同じ寸法に丈が出るように。大体耳端っていうのは耳が少しキュッと攣っているというか縮んでいることが多いから、プツプツと切り込みを入れて引っぱって伸ばしておくとか。

これはつっているなと思ったら先にプツプツと。紬や織物になると余計につっていることが多いから入れたり。おいおいの狂い、着ていく中での縮みを見越して耳端はちょっと長めにしておくとか、本当に細かな作業。

標(へら)付け

へらでちょいちょいとわかる程度に印をつけます。生地を傷めないギリギリの加減で、ほどいて洗い張りした時に消えるというのを前提に。

生地によっては絹のようなへらでは傷めてしまうような素材のものは、こての先でちょんちょんと熱で印をつけたりもしますね。その印が消えないうちに縫わないと、湿気でむくんできても消えるし。

素縫い

縫う作業のこと。基本和裁ってまっすぐにしか縫わないんですよ。カーブって袖の丸みのところだけで、あとは全部直線縫いで。

裾合わせ

合わせの着物なら表の素縫いと裏の素縫いをして、「裾合わせ」といって裾で合わせて、それぞれの縫い代をずっと綴じていく。

つり合いを良くして。それこそ表と裏でお互い絹であっても性質が違うから、狂いがくると裏がぶくーっとなったり、表がぶくーっとなったりしてしまう。表がぶくーっとなってしまうのが一番ダメな状態で、着物を着た時に。

つり合いというのが一番難しいところかな。

袖付け

袖は袖でまた別に作って、「袖付け」といって袖を身頃に付けて、最終的に衿収め。

運針

これが運針っていって和裁の基本中の基本というか。こうやって一本縫ってあるだけやから、端っこ切ったらすーっと糸が抜けて全く生地を傷めずに次作り変えることができるっていう。この運針っていう技術は日本の世界に誇るべき技術のはずなんです。

これを一年生の時に一番最初に、一分間で何針できるかってこう一日何本って時計で計りながら特訓するんです。毎日ひたすら運針だけをし続けて、でやっとまっすぐいけるようになったなっていったら品物を触らせてもらえるなって感じで。

絹の針目と木綿の針目っていうのがあって、絹は4cmの間隔の中に10針とか木綿やったら8針とか。それぞれ針目があって。ひたすら縫ってはこてをかけて、縫ってはこてをかけての繰り返し。

ここにタコができる。やっぱり指ぬきをしてても針の後ろが貫通するから。今はもうそんなに縫わないからあれやけど、修行中はここにタコができてカチカチでとか。正座だこがくるぶしにできて、かかとが当たるからお尻が黒くなってっていうのがみんな共通の悩みやったかな。

先生のこと

私で28期生やったんかな。パーティーにも教え子さんがたくさん来てはって。

夫婦で和裁所を構えられて私の親と同じ年。すごく仲の良い先生で、仕事場も生活でもずっと一緒やのに仕事場の隅でいっつも2人できゃっきゃきゃっきゃいってて、私らにはすごく怖いのに。

菊の御紋が入っているのが、先生が旭日単光賞をもらいはった時のパーティーのお土産のお饅頭の箱。菊の御紋やと思って大事に。先生のやしと思って。大事な箱ですね。住み込みとかも最初は5年間住み込みで、5年で一人前になるからって。私3年で出てしまってるねんね。住み込みさしてもらってる時は不満ばっかり持ってて。先生のありがたみって思うに至らへんかってんけど。

今になってすごく思うことがあって、先生にパーティーでお会いした時に泣いてしまって、ただごめんなさいが言いたくて。そしたら先生はみんなそんな時あるって。若い時はみんなそうみたいな感じで。これが先生で、奥さんで。いい先生でした。

和裁の道具

竹差し

プラスティックは狂いがくるから必ず竹でって。50cm2本と1m2本。その4本を常に使っているかな。

へら付けをする時に長い反物を輪になった状態でこっちに重石を置いて、輪に50cmを入れてぴんぴんぴんと引っ張って山を決めて、くりこしっていって後ろに1寸とか50cm2本同時に使う。で、丈とるときは1m2本づつ使う。

革の指抜き

和裁の和針は細いから。後に穴を残さないために。すごいむくむからきついと思ったらちょっと大きい奴とか、3つくらいローテーションで使っている。

これは私の普段使いの糸。その下の糸はおばあちゃんの糸。おばあちゃんの糸はもう劣化が激しくて実際はもう使えないんやけど、御守り代わりに置いてる。

三重に居た時は愛知の組合から消耗品などは買っていて。組合が問屋さんからまとめて購入して会員に分けてくれるから多少一般より安いっていう。

この糸の太さはそれぞれ違う。絹ものを縫う時は絹の手縫い糸で、木綿を縫う時は木綿の糸やし。しつけ糸とか、ミシン糸とか。ミシン糸もミシンで使うんじゃなくて、縫い代をちょっと抑えていくような時にミシン糸を使ったり、くけるっていうんやけど、その時に使ったり。

先生の糸巻

糸巻。一番大きい奴。これをきちっと巻くのが住み込みの仕事で。最後に使い切ってから先生に返してないの。

男の先生は2年前に亡くなって、女の先生はまだいらっしゃって、男の先生亡くなる一年前に勲章をもらいはって、皇居に行って、その後パーティーがあって何年かぶりお会いして、その翌年に亡くなって。和裁の業界では素晴らしい技術を持った先生で、あそこで修業しましたって言ったら「あ、あそこね」って。それもタウンページで探して行っただけで後から聞いてえーって。

こて布団

アイロン台の代わりみたいな感じ。もうしみだらけ。洗いもしないしずっと使い続けて、名前を刺繍してたのももう取れてしまって。ブルーでさしてたはずなんやけど。ここの上でアイロンで地直しをしてて。

霧吹き

しゅこしゅこしゅこと押すと空気が圧縮されてすごく細かい霧が。噴霧器っていうんかな。一代目が壊れてしまってこれは二代目。ちょっと調子が悪いねんって主人にみてもらったらもう決定的に壊されてしまって。それで二代目を買ってもらって。

最初は先生のところで一通り買わせてもらったけど。普通の霧吹きでは絶対にだめで、それを直接生地に吹くのではなくて、湿布布っていって、先生のところでもらった日本手ぬぐいに細かい霧を吹いて揉んで、うっすらしっとりしたやつを最終的に仕上げかける時とかに熱いこてでじゅっとする時とかに使う

板(ばん)

板は主人に作ってもらってん。卒業して家でしますってなった時に。全部寸法いったとおりにフルオーダーで。

和裁の板とかも市販であるんやけど、高くて重くて私たちも引っ越しするつもりやったから外せて動かせる方がいいしって。一番最初に鈴鹿で作ってもらったやつはこれよりちょっと大きくて、今は子どもが2階で勉強するのに使っていて。これは2代目。

針山

針山の玉の中には本物の髪の毛が入っているねん。

一番最初先生のところで作ってもらうんやけど、ただの木の棒が出てるだけのものに、先生が美容室から分けてもらっていた本物の髪の毛をくるくるっと巻いて、絹の布でくるくるっと包んでぎゅっとして。針が錆びないんだって髪の毛だと。

何年かに一回張り替えるんですよ、白い絹でここがもう破れてきてるから変えないと。手前が一番刺すから。

石鹸

生地によってはすごい針どおりの悪い生地とかを縫う時にこれを裏技でちょんちょんとしてから縫うとするする縫える。みんなホテルとかのちっちゃい石鹸とかちょっと持ってて。

夏の藍染めの浴衣とか鬼のように硬くて、指ぬきを貫通して穴が開くくらい。その時は絶対これがいる。つんつんってしてから。

けさん(文鎮)

布をおさえる時につかうもの。

教科書

これは先生のところが独自で作った教科書というか、それで勉強させてもらって。今でも羽織を作る時は、その都度それを見返しながら。

和裁の教科書にも先生が載ってて。この教科書も先生のところにいる時はほとんど開くこともなかったんやけど、今になって見返すことがすごく多くて。まだ20代の先生。

結構爪を使う作業が多くて。道具の一つ。

CD

CD下の2枚はゴンザレスっていう人のピアノで全然知らんのやけど何か気になって聴いてて。素縫いの時は音楽かけて縫うとたったと進むから。

地直しとかへら付けとか生地を向かいあってする時はかけないんやけど、素縫いする時はCD。何か音がある方が体が乗るっていうか、単純作業の時は。

着物のこと

かあちゃんと作った初めての浴衣

この浴衣は初めて、あんた和裁したらいいわって教えてくれた浴衣。一緒に反物買いに行って、かあちゃんがへら付けしてくれて、針打ってくれて、こっからここまで縫ってみって、教えてくれて。たばこ屋さんの片隅で。一緒に作らしてもらった初めて縫った。紫陽花やのに黄色って。

振袖

私が19歳の時に、成人式用に振袖が欲しいって相談したら、女の先生がそしたら一緒に見に行くかって。

当時四日市の松坂屋さんの仕事もしてて、そこに一緒に行ったろって2人で電車に乗って。普段すっごい先生怖いんやけど、行くときだけはものすごく優しくて電車の中でもずっとしゃべってくれて、すごいドキドキした思い出がある。何しゃべったのかも覚えてないけど。

自分はすごい渋い振袖が欲しくて、当時モダンな渋いのが流行ってて。だけど売り場に行ったら先生と売り場の方があんた顔これの方が合うわって見立ててもらって、でも当時は気に入ってなかって。今になっては本当にこれで良かったって。

和裁の5年間の間に毎年年度末に修了式があって、振袖を着る機会があったから何回も着て。10回以上着たかな。ピンクと水色のパステルが馴染む。洋服ではありえない。帯も着物も柄に柄やんか。

当時着物もそんなに好きじゃなかったから全部お任せで選んでもらって、小物の合わせ方とかも何もわからへんから全部お任せで。ぼちぼちしみも出てきたし、1回洗い張りして仕立ててもいいしなとか。

初めて縫わせてもらった浴衣

先生のところで一番最初にある反物から好きなものを選びなさいってくれて初めて縫わせてもらった浴衣。紫色にした理由は。他に全然気に入るのがなくて。問屋さんの売れ残りとか何か訳アリのやつを先生が持ってて、これが一番ましやったんかな。でもこれも良く着たし。

19歳の時、その夏に先生のところの娘さんとかとお祭りに連れていってもらったりとか、よく着た気がする。これと同じ色の帯を先生のところからセットでもらって。絶対自分じゃ選ばないし、服なら絶対選ばない色やけど、着物なら着れちゃう。これは本当に良い帯で、博多織っていうのかな。

おおおばあちゃんの大島紬

これは和裁の先生をしていたおおおばあちゃんの大島紬。うちの実家津波で一回流れてて父が赤ちゃんの時やから70年くらい前かな。

その時に一回浸かって全部変色してしまって、でもきれいな状態で置いてあった大島を5ー6年前に使えるところだけ何かしいって私が全部もらって、兄が使うように男物の帯にして、さらに残った布をティッシュケースにして。

かあちゃんが仕立てた着物

これはかあちゃんが叔母のために仕立てて、着なくなったから叔母がくれて、仕立て直しもせず何回か着たかな。貝桶っていう柄で季節選ばずに着れる。縫い目をまたいで柄が合うから訪問着かな。

叔母の着物

私のおおおばさんの形見分けで叔母がもらったものを私が譲り受けてほどいて、洗い張りして自分用に仕立て直そうと思ってやりかけたやつで。これが表。キラキラして、何色って言っていいものか。昭和の初期くらいなのかな、ちょこちょこシミもあるんやけどそれも味かなと思って。

しだれ桜の着物

これも叔母の。全部洗い張りして、私の寸法に仕立て直して。

しみとかも結構あったから、上前下前入れ替えたりして。着たら隠れるように前身頃のところを入れ替えたり、上下変えたりとかして新品同様にして着れる。ここのみえてくる八掛っていうんやけど、これも最初真っ赤がついてて恥ずかしかったので、反対色つけるのが多かったりして、今は同系色で細めに出すのが流行なんやって。

産着とベビードレス

娘の産着。上の子が着て、下の子も着て。これが上の子がお腹にいる時に手縫いで作ったベビードレス。ミシンができひんから。でも手縫いの方が早かったりする。

姪っ子の成人式の振袖

振袖は姪っ子と一緒に問屋さんに見に行って、本人の顔に一番映るものを選んだんやけど。

中に着ている長襦袢は私が20歳の時のものを使いまわしていたり、そのまま同じ寸法にして。小物は全部私のものを使いました。